「我以外皆我師」によってもたらされるもの
直前の投稿で、大事にしている言葉として「我以外皆我師」の一言を上げました。
どんな人からも得られるものがある。
たとえ、総じて「嫌な人だなぁ」と思う人にも、どこかにキラリと光る、素晴らしいと感じるものがある。
「我以外皆我師」の姿勢を持っていると、どんな人からも「どこかに良い面持ってないかな」という見方ができる・・・はずです。
自分ができていないなぁ、という反省を込めて書き留めます。
大事にしている言葉
このBlogを開設してからは書いていませんが、私には、大事にしている言葉がいくつかあります。
その中で、最近忘れかけていたものが一つあるので、自分に言い聞かせることも含めて改めて書くことにします。
「我以外皆我師」
元々は、作家の吉川英治氏の言葉のようですが、私が聴いたのは、信越化学で経理・財務畑をずーっと歩いて来られ、公認会計士協会でも重職を務められた故・金児昭氏の著書でした。
反面教師となることも含め、自分以外の方からは、必ず学ぶべきことがある。
別途、中国の古典、「菜根譚」にあった「虚円」の一言を教えてくれた、かつての上司からの教えでした。
最近、周囲から受けることに、時に憤りを覚えることもありますが、自分が周りから受けることには、必ず何かの学びがあるはず。
そう言い聞かせながら、先の一言を思い起こしています。
ってか、そもそも忘れかけていること自体が問題ですね。(苦笑)
今年の一字 早速修正
今年に入って間もない頃の投稿で、
今年を表す一字として「動」を選びました。
それを書いたのが、こちら↓。
katopon-amicidelcanto.hatenablog.com
早速修正させていただきます(苦笑)
「動」よりもむしろ「省」の方がふさわしいかもしれません。
ちょっと気になることがあったので、今日、昼から仕事を休ませていただき、病院でMRIにかかってきました。
これが人生初のMRI体験。
事前に色々聞かれた後、身体を固定され、ブーッ・ブーッ、とか、ガチャ!など、大きな音を聞かされながら、50分くらいかけて脳の状況を撮影してもらいました。
結果は、特に異常なし。
私自身がどう見られているかは別として、脳の動きは、正常のようです。
あまり多くは語りませんが、実は仕事では頭痛の種が一杯の状況。
脳の問題ではなく、改善すべきは、心や行動、と絞られたことにもなります。
いい歳こいて書くことでもありませんが、始めるのに遅すぎることはなし。
逃げずにわが身を省みて、もう一マイル前に進むべく、行動していきましょう。
ここには書けない、モヤモヤとしたことはいっぱいありますが、自分の状況をきちんと見直すことができるチャンスがいただけた、という点で、良かったと思います。こんな機会がなければ、脳の状況なんて観ることなかったし。
一日の終わりに目を向けること
放っておくと、ネガティブな考えになるためなのか、
寝る前に一日を振り返ると、できなかったこと、うまくいかなかったことばかりが頭に浮かび、ついため息をついてしまいます。
しかし、その傍らで、できたこと、うまくいったこともゼロではないはずです。
できなかったこと、うまくいかなかったことをどう直していくか、についてはもちろん無視できませんが、「今日はこれができたぞ、よかった!」と、できたこと、そしてできた自分自身を受け止めることも忘れずにやっていかないと。
自分への言い聞かせのために書いています。
これができれば、睡眠の質も良くなるかな?試してみよう。
大事なのは 続けること
続けていたことをやめるのは簡単なこと。
しかし、一度やめたことを再び始めるのは、至難の業。
風邪で体調を崩した、仕事から戻る時間が若干遅くなった、など、原因となりうる事象が複数ありますが、平日夜に歩く習慣が欠落する日が続いています。
何か「こと」を始めるのに、最初の第一歩を踏み出すことにエネルギーが要る、と聴いたことがあります。
それと同じくらい、「とにかくやり続ける」ためにもエネルギーが必要なんだと痛感しています。
歩く以外にも、大事な習慣をいつのまにかやめてないか?
今月は自分の習慣を立て直す月間として過ごします。
習慣が変わる、というより販売戦略にハマる
暦の上では春になりました。
但し、相変わらず朝は冷え込んでいるのは、「早春賦」でも歌われる通りです。
昨日は節分でした。
スーパーやコンビニでは、昔ながらに豆が並んでいるのと併せ、総菜コーナーには巻きずしが並んでいたようです。
「ようです」と締めたのは、私が昨日仕事帰りに立ち寄ったコンビニでは、既にその姿がなかったから。
節分に巻きずしを食べる習慣、元々は関西地方に限定されたものだったと記憶しています。少なくとも私が関東地方で過ごした20数年の間(1970年代~1990年代半ば)には、節分に巻きずしが並ぶ姿は観たことがありませんでした。
社会人になり、職場に居た大阪出身の方から聞いて「へぇ~、そんな習慣があるんですか!」とびっくりしたものです。
その後、大阪に移り、確かに節分になると小売店に巻きずしが並ぶのを見かけ、私もその習慣に乗りました。
2000年を少し過ぎた頃、東京に出かけて立ち寄ったコンビニに、節分に向けた巻きずしが並んでるのを見てびっくりしました。ついに関西圏外にも広まったのかと。
今日の日本経済新聞「春秋」では、恵方巻きを全国展開したのはコンビニによるものだと書かれていました。あの動きが、まさにそれだったのか。
そして今、恵方巻きは現住地の山口県でも店頭に並ぶようになりました。
ヴァレンタインデーのチョコレート、ハロウィンのお菓子、そして節分の恵方巻き。日本での広まりは、風習をそのまま取り入れたのではなく、食品業界や小売業界の販売戦略によるものなんだろうなぁ、と思った次第です。
繰り返し読む本ほど、紙媒体で持つ
本を読む手段が色々出てきました。
子供の頃なら、紙で製本されたものを買う(または 借りる)ことで手に入れ、紙のページをめくりながら読む、という手段だけでした。
それが、電子書籍として電子媒体で読めるようになったり、オーディオブックとして音声で聴けるようになったりしています。
私も、ウォーキングの供や、歌の練習で徳山~広島間を車で移動する際の供として、オーディオブックは重宝しています。
また、最近タブレットを購入し、電子書籍を購入して読むことで、特に旅行などの長時間移動の際、紙媒体を持ち歩くのに比べ荷物がかさばらずに済むメリットを実感しています。
一度さっと読み流すだけで済ませる本なら、その時々で都合の良い手段を選べば良いと思います。
しかし、大事な言葉を見つけたから、折に触れて読み返そう、と思った本は、やはり、紙媒体で持つのが一番いいのかな、と思います。読み返したいと思った場所にたどり着くのが、電子書籍やオーディオブックよりも早いと思うから。
最近、過去に買った本を久しぶりに手に取る機会が増えました。
紙媒体のアクセスの良さを、改めて実感しています。