再び歩き始める
ここのところ、ウォーキングをずっと休んでいることは2月にも一度書きました。
要因は色々考えられますが、つまるところ、とにかく続ける、という意志が欠落してしまった。このことに尽きます。
この冬から春にかけて、長いこと風邪の症状が続いていましたが、歩く習慣を失くして抵抗力がなくなったのでは?と家族からも指摘されました。
身体の調子だけでなく、心の調子も崩しかけました。
大型連休を終えた今、まだ時折咳が出る状態ですが、習慣を取り戻すべく、仕事から上がってからのウォーキングを復活させました。
もう少しすると雨の季節になります。
今日も歩きながら、カエルの合唱を聴く場面がありました。ウグイスの声を聴いてから1ヶ月しか経っていないのに。
天候に邪魔されることもあるでしょうし、長くブランクがあったので、一度に歩ける距離も、最初は前ほど長くはないでしょう。それでも、また歩みを続けます。
ヒトが機械同等の扱い?
変に想像働かせすぎなのでしょうが、表題のような思いを禁じ得ない会話を耳に挟みました。
連休中、大阪で一人飲みをしていたお店での会話。
カウンターの隣に座ったのはお互いにパートナーがいる者同士の男女カップル。
交際ゼロ日で結婚(会ったその瞬間に決めてたようだ)を決めた、と女性。
産まれや育ち、そしてこれまでの半生のことを聞かずに、ということを「スペックを聞かずに」と言っていました。
この「スペック」の一言が強く耳に残りました。
それを「プロフィール」と言っていれば完全に忘れ去るやりとりでしたが・・・。
「デフォルト」。
「債務不履行」の意味もありますが、私が初めてこの言葉を聞いたのは、パソコンなどの基本性能のことを指す言葉としてのことです。
折しも、AIの発展により、これまで人間がやっていた仕事が機械にとってかわられるのでは?という話も出ている今日この頃。
それと重なって、人が人を語るときにも、それを機械と同格のように扱われてるのかしら?と、ちょっとだけ思った連休のとある日の出来事でした。
徳山の桜 2017
昨年もこの時期に書きました、徳山の桜のこと。
katopon-amicidelcanto.hatenablog.com
桜に関する記事は、毎年の定点観測のような形での更新になりますね。
今年も、4月8日~9日の週末に、「今が見ごろ」の状態になりましたので、同じ場所に足を運びました。
生憎の空模様のため、昨年同様の青空とのカップリングはかないませんでしたが、この桜のトンネルを通ると、自然と笑顔になる自分がいます。
わずかの間しか咲かない桜の花に、我が身を重ねあわせる人も少なからずおられます。
私もその一人。
私という木を、満開の花で飾りたい、いや、飾って見せる。
「念ずれば花開く」という言葉があります。
漠然と念ずるのではなく、どんなことで自分の花を咲かせたいか。
具体的に思い描いていきましょう。
一度挫折した習慣を戻す
ここ最近、寝床についてから短い時間でいったん目が覚め、その後なかなか眠れない、ということが増えてきました。
酒を飲んだ後で眠りが浅くなるのは自業自得として、それ以外にも要因があるのでは、と思い、寝床に自分でおいているものを見て「やはりこれか!」と思うものがありました。
ずばり、スマートフォン。
1~2年前に、一度寝床から追放しましたが、やはり「起きているうちに聴ききれなかったPodcastがある」などと理由をつけて枕元に引き戻していました。
スリープタイマーを設定せずに音声を流し、夜中に音声にハッとして起きる、ということも少なからずありました。
「これはいかん」と思い、先週から、再び枕元から追放し、別の部屋で充電しています。
4時間くらい寝たところでいったん目が覚める、という状況は、今でもありますが(仕事に要因があることはわかっている)、その後も、短い時間ながら眠れるようになったので、効果はあるのだと思います。
布団にもぐったら、いろいろな誘惑に気を取られることなく「寝る」という行為に集中することが、私にとっては大事なようです。
「我以外皆我師」によってもたらされるもの
直前の投稿で、大事にしている言葉として「我以外皆我師」の一言を上げました。
どんな人からも得られるものがある。
たとえ、総じて「嫌な人だなぁ」と思う人にも、どこかにキラリと光る、素晴らしいと感じるものがある。
「我以外皆我師」の姿勢を持っていると、どんな人からも「どこかに良い面持ってないかな」という見方ができる・・・はずです。
自分ができていないなぁ、という反省を込めて書き留めます。
大事にしている言葉
このBlogを開設してからは書いていませんが、私には、大事にしている言葉がいくつかあります。
その中で、最近忘れかけていたものが一つあるので、自分に言い聞かせることも含めて改めて書くことにします。
「我以外皆我師」
元々は、作家の吉川英治氏の言葉のようですが、私が聴いたのは、信越化学で経理・財務畑をずーっと歩いて来られ、公認会計士協会でも重職を務められた故・金児昭氏の著書でした。
反面教師となることも含め、自分以外の方からは、必ず学ぶべきことがある。
別途、中国の古典、「菜根譚」にあった「虚円」の一言を教えてくれた、かつての上司からの教えでした。
最近、周囲から受けることに、時に憤りを覚えることもありますが、自分が周りから受けることには、必ず何かの学びがあるはず。
そう言い聞かせながら、先の一言を思い起こしています。
ってか、そもそも忘れかけていること自体が問題ですね。(苦笑)