歩きながら考える by 小春日

日課としているウォーキングの記録、ウォーキングの最中にオーディオブックやPodcastを聴きながら考えたことなどを書き留めてまいります。

大事なのは、視点の持ち方

ウォーキングのたびに通りかかる、周南市の国道2号沿いにある、本願寺派のお寺の支坊。

そこには、一定期間ごとに入れ替わる「ことば」が掲示されています。

(このBlogでも触れたことがあるかもしれません。)

先日通りかかった時に掲示されてたのは、この一言でした(今週は別の言葉になっています)。

 

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色々な型が言葉を変えて説いておられることですね。

物事がうまくいっていないときなど、自分にできていないこと、足りないことに目が向いて、さらに落ち込んで悪いスパイラルに陥ってしまいがちです。

足りない点に目を向け、それを補う努力をすることも大事。それと同時に「でも、これはできてるよね」と、今の自分にできていることにもしっかり目を向け、自分で認めることも忘れないようにせねば。

 

 

どうせならプラスの言葉を

自分が話したり書いたりする言葉。

誰かに伝えるために発するものです。

しかし、伝えたい相手以外にもそれを目や耳にする人がいます。

相手以外に周りに居る人?

確かにそれもありますね。

話してるときに脇から聞き耳を立てている人。

ネットで思いがけず私の書いたものを見かける人。

でも私が指しているのはそれではありません。

発している自分自身です。

そして、自分が発し、自分の目や耳に留まった言葉は、暗示になる。

そんなことを自己啓発の本やオーディオブックで何度も見聞きしました。

自身を振り返ると、

最近、独り言で発する言葉にネガティブなものが増えています。

 

ネガティブな言葉を発したくなる事態に直面しても、

その中から「良かった」と思えることを見つけ出し、

自分にプラスになる言葉を自分にインプットしたいものです。

今日から始まる

大事な言葉は、いろいろな方により、少しずつ形を変えながら語り継がれています。

「今日という日は、残りの人生の最初の日」

という言葉も、そのひとつでしょう。

 

米国でも1960年代に、"Today is the first day of the rest of your life." として流行したようです。日本にはそれが輸入されたのかもしれませんね。

 

昨日→今日→明日と連続する中、特に昨日(過去)との関係で今の自分を省み、がっくりくることが多い私。原因と結果の関係を見るには間違っていませんが、省みることが、うまくいかなかったことばかりになると、強い自己否定感に襲われます。

 

これまで積み重ねてきたことはわかった。

それはそれで置いといて、これからどうするかをしっかり考え、かつ動くことが大事。

しっかり前を見て進んでいきます。

以前のBlogでサブタイトルにしていた、"Go extra mile"を合言葉に。

 

 

夜空への誓い

人生、楽しいことや嬉しいことばかり、となれば幸せなのでしょうが、

やはり、怒りや悲しみ、そして悔しさを覚えることも多くあります。

そんなとき、頭上に広がる空や、

目の前に広がる海をながめるようにしています。

いやな感情が完全に吹き飛ぶわけではありませんが、

自分が抱えているものの小ささを感じ、

まだ大丈夫、また前に進もうか、という気が起こります。

でも、

意識していないと、

広がる空や海が全く目に留まらず、

ただ足元だけを見つめてしまいがち。

いかんいかん。

今日は久しぶりに夜空を眺めて気持ちを整えています。

 

9月8日。

今日は生まれて一瞬で星になってしまった妹の誕生日。

お誕生日、おめでとう。

毎年同じことを言っているけど、

君の分も、精一杯生きていくよ。

転んでも立ち上がる

 

今年に入って、何度も歩く習慣が途絶えています。

原因は、喉の腫れ、そしてそれから起こる微熱。

そこに「なんとなくやる気が起こらない」という心の状態が拍車をかけてしまいました。

そして、久しぶりに体重計に乗り、示される数値に愕然。

やはり、歩かねば。

先々週からウォーキングを再開しています。

 

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(写真は、ウォーキングコースの途中にある遊歩道。明るいし、車が通らない場所なので安心して歩けます。)

とにかく続けることが大事。

でも、何らかの要因で継続が絶たれたとしても、またそこから始めればいい。

そこで完全に諦めなければいい。

転んでもそこで再び立ち上がる。

歩く習慣だけでなく、他のことでも持ちたい姿勢です。

つながっているありがたさ

あっという間に終わったお盆休み。

いつものように山口県を脱出し、生まれ故郷の埼玉県に行ってきました。

高齢となった両親は昨年相次いで運転免許を返上。

おまけに、昨年のお盆休みの帰省時に実家のクルマはエンジンがかからなくなり、そのまま廃車となりました。

そのため、帰省の際は、実家の最寄駅でレンタカーを借りるのが常となりました。

実家までは、駅から歩いて15分ほどなので問題ないのですが、私が小さな子供を抱えていることと、土地を借りて畑をやっている関係で、肥料などかさばる物を買う足として充てにされているのです。

今回の相棒は、ヴィッツ

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実家の周りの道が狭いので、このサイズのクルマがちょうどよいのです。

滞在期間中、わずかながら生活の足として活躍してくれました。

私が帰省するのは、年にわずか3回。

それ以外の時は、ご近所や、母が以前に勤めていた先の仕事仲間の方に乗せてもらい、嵩張るもののや、少し離れた場所への買い物をしているとのこと。両親とつながってくださっているすべての方に頭が上がりません。

いつもありがとうございます!

 

次の帰省は年末年始。お互いに元気な姿を見せられるよう、私も毎日を精一杯すごしていきます。

ソレーネ周南 高速からの立ち寄りが可能に

地元 周南市にある「道の駅 ソレーネ周南」。

地元の食材を買い求めることができるほか、敷地が川に隣接していることから、水遊びに興じる人も見かけます。

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地元に居ると、あまり頻繁には足を運ばないのですが、川の水に足をつけて暑さをしのぎながら周りののどかな景色を見ていると、地方に住んでいたら夏はこんな風景の中で毎日を過ごしたんだろうな、との思いがよぎるのでした。

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ところで、このソレーネ周南では、昨日から始まった実験があります。

高速道路の休息施設不足の対応として、近くの徳山西ICからの立ち寄りが可能になりました。

山陽道を通る方がいったん徳山西ICからソレーネ周南に立ち寄って、再び徳山西ICに戻った場合、高速料金は、徳山西で乗降したことにはせず、通しでの通行料が適用されるようになったのです。ETCを搭載していることが前提ですが。

その実験開始に伴い、お客さんを呼び込むイベントも企画されているようです。

山口県内のテレビ局のクルーがこぞってカメラを抱えて廻っていましたが、今回の実験を利用して立ち寄ったお客さん、昨日(7月15日)の昼の段階ではほとんど居られなかったようです。宣伝効果が足りなかったのでしょうか。それとも、わざわざ高速を降りるのが面倒と感じる方が多かったのでしょうか。

テレビ局のカメラマンさんも、退屈そうに水遊びをしているお客さんにカメラを向けてました。

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わざわざ高速を降りてでも立ち寄ってもらうための仕掛けが必要なんですね。

一時赤字に苦しみ、運営も大変だと思いますが、今後のソレーネ周南を、時々立ち寄りながら見守っていきたいと思います。