歩きながら考える by 小春日

日課としているウォーキングの記録、ウォーキングの最中にオーディオブックやPodcastを聴きながら考えたことなどを書き留めてまいります。

いつも通りに訪れた、忘れがたい春

4月も半ばにさしかかりました。

沿道の桜は、ほぼいつもと同じ時期に花を咲かせました。

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私にとっての桜の定点鑑賞ポイントとなっている「桜のトンネル」。

 

しかし、2020年の春は、いつになく忘れられないものになっています。

中国・武漢を皮切りに世界中に広まった、COVID-19により、いつもの春同様に出かけることができなくなっているためです。

 

埼玉、千葉、東京、神奈川、大阪、兵庫、福岡には、国から非常事態宣言が出され、外出を控える要請が出されています。

 

私が住む山口県周南市でも、4月5日に最初の感染確認報告後、その周辺で複数の感染者が確認されています。

 

「感染しない、万一感染した場合にはそれ以上広めない」という姿勢で、通勤、必要最小限の買い物、そしてウォーキング以外では外出しないようにしています。(あ、これ、いつも通りか。)

 

私は工場勤務ということもあり、引き続き職場に出社していますが、これをお読みの方の中には、在宅勤務を要請され、ずっと家にこもってストレスが溜まっている、という方もおられることと思います。心中お察しします。

 

最前線で対応されているすべての皆様に感謝し、「もらわない、広めない」ためにできることを継続していきましょう。

 

意外なモノが節分仕様に

2020年もあっという間に1か月が過ぎました。

2月といえば、節分です。

節分というと、恵方巻の供給過剰による食品ロスが毎年のように話題になりますが、あれが全国区になったのは2000年くらいのこと。

やはり、伝統的な行事といえば、豆まきですよね。

豆まきにつきもののなのは、まかれる対象の鬼。

その鬼が、意外なところに登場しました。

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郵便ポストが鬼に変身しました!

私の家から一番近くにある郵便局(配達局ではなく特定局)の前に設置されているポストが、鬼に変身していたのです。

この地に住んでから10度目の節分。これまで意識していなかったのですが、このような試みは、初めてのような気がします。

ちょっと心が和む日常の風景です。

来年も、引き続き歩き続けます。

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2019年も間もなく終わりを迎えます。

昨年の4月から始めた、「1か月最低100kmはウォーキングする」行動は、今年も途切れずに達成し、21か月連続で継続することができました。

体の健康と心の健康を維持するために、2020年も歩き続けます。

 

写真は、年末の埼玉県への帰省に合わせて寄った東京での、皇居外周ウォークで見た風景です。この時期に皇居外周を歩けることで「いろいろあったけど、今年も最後にここに歩きに来ることができた」という満たされた気持ちになれます。

 

2020年も、引き続き歩き続けます。

 

そして、歩いていく中で気づいたこと、感じたことを、もう少しここにも書き留めますね。

 

「空き」の問題

地方を中心に、空き家の問題が浮かび上がり、ニュースでも取り上げられるようになって久しいですね。

 

私が住む周南市でも、「もう長く住んでないんだろうな」と思われる家屋がみられますし、何年か前には、市が腰を上げて持ち主不明(だったかな?)の家屋を強制的に撤去したことがあります。

 

一般の家屋の空き家同様、商業施設の空きスペースの問題も、身近で見かけるようになってます。

郊外にできたショッピングセンターです。

 

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売上が芳しくない、などの理由から、入っていた店舗が退き、その後に新しい店舗が入らず、空きスペースになっているという状況です。

 

私が移り住んできたころは、ここが市内で一番大きなショッピングセンターでしたが、ここ数年で、ほかにも似たような規模の施設ができ、客足を取られてしまったのかな、と推定します。私自身、以前にくらべてこの施設に買い物に来る機会が減りました。

 

店舗が入らないから、市が行政窓口を設けたり、保育施設を作ったり、と、スペースを埋めるための工夫がされてますが、まだまだ空きスペースが残っています。

 

古くからある商店街のシャッター街化は前から問題視されてますが、郊外ショッピングセンターの空きスペース増加も、解決すべき問題となっていくのでしょうね。

 

何のために歩いているのか

1か月に最低100km歩く、と決めたウォーキング。

2019年11月も無事に最低ラインをクリアし、20か月連続での達成となりました。

 

9月に腰を痛めた際、連続記録もここで途絶えるか、と落ち込みましたが、痛みがおさまったところで「やはり諦められない!」と、歩き続けてクリアしました。

 

この調子で、次の1か月も、またその次も、と歩き続けていきます。

 

ふと、こんなことを思うことがあります。

「何のために歩いてるんだろう?」

 

ウォーキングを始めたきっかけは、体重を落とすためでした。

そして、いつごろからか、健康診断でひっかかった血圧を下げるため、が加わりました。

 

でも、それだけかなぁ。。。

それだけなら、月に100kmなんて最低ライン設けたり、それを連続で達成し続ける、なんてことまでせず、「歩く習慣を身に着ける」程度での継続で終わりだったんじゃないかな。

 

最低ラインを設け、それをクリアし続けること。

それを積み重ねていくことで、己に自信を持てる自分になりたい。

他のことでもよかったけど、私は歩き続けることでつかみ取りたい。

3か月連続で達成した頃から、そんな思いも供に、歩を重ねています。

 

起こったすべてのことに「ありがとう」と言ってみる

通勤時に聴いていたPodcastで耳から離れなかった一言がありました。

 

「すべてのことは感謝に値する」

 

嬉しくなることが起こったとき、誰かにしてもらったときに「ありがとう」と感謝の気持ちが出るのは多くの人が頷けることだと思います。

 

では、理不尽なこと、不愉快なことがふりかかってきたときはどうでしょうか?

 

また、いろいろな面で不遇な状況に直面したときはどうでしょう?

 

「なんでこんな目に遭わなければならないの?」などと被害者意識が働く方が多いのではないでしょうか?少なくとも私はそうです。今、自分が置かれている状況に対してもそう思ってしまいます。

 

冒頭の一言の真意は、完全には理解できていませんが、どんな状況に陥っても、そこから自分の糧となるものを探す、とか、今の不遇の状況が、将来の自分にとってためになる、などととらえ、実際にそうなる材料をみつけ、その出会いに感謝する。

 

そういうことなんでしょうか・・・。

 

腹落ちするには時間がかかる一言かもしれませんが、まずは、どんなことが自分にふりかかっても、まずは「ありがとう」と言ってみることから始めましょうか。それによって、起こった何事からも糧を得ようとする姿勢が作られるような気がします。

旅のお楽しみ

「月最低100km」のウォーキングも、17か月目に入りました。

普段の生活の中で歩くのに加え、合唱での遠征や帰省の際にも歩きたい、と、旅の荷物にウォーキングシューズを入れるように(または履いていくように)なりました。

これを書いている8月12日は、ちょうどお盆休みの最中です。

まさに旅の最中に書いているBlogですが、今回も、旅ウォークを実践しています。

 

まずは、合唱コンクール出場のために泊まった広島にて。

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広島城を眺めながら歩いたのちは、

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平和記念公園で祈りを捧げながらのウォーキングでした。

 

コンクールが終わって東京に移動し、宿泊したら、皇居外周のウォーキングは外せません。

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八重洲側から、日比谷のビル群を眺めながら皇居前までたどりつき、数多のランナーやウォーカーに交じって外周を一周。

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二重橋では、私がこの写真を撮っている脇で、これをバックに交代で写真を撮り合っている外国人ジョガーグループの方がおられました。

 

歩く、という行為は変わりませんが、こうして旅先で、いつもと違う風景の中を歩くのは気分のいいものです。

 

旅ウォーク、これからも続けていきます。