歩きながら考える by 小春日

日課としているウォーキングの記録、ウォーキングの最中にオーディオブックやPodcastを聴きながら考えたことなどを書き留めてまいります。

他人は自分の鏡

人に言われて腹が立つことは、振り返ると自分も誰かに対して言っている。

人の振る舞いを見て不快に感じることを、実は自分でもやっていることに気づく。

そんなことが多いと感じています。

歩きながらスマートフォンを触るのも、それ。

先週末に日本でもダウンロードが始まったアプリ「ポケモンGo」で、モンスターを探しながら歩いているうちに事故に遭ったり引き起こしたりする事例をメディアで観る機会が増えましたが、実は私も、「ポケモンGo」はやっていませんが、ウォーキング中に歩いた距離や時間をチェックしたり、聴くPodcastやオーディオブックを切り替えるために、歩きながらスマートフォンを操作してしまってるなぁ、と改めて気づかされました。

やはり他人は自分の鏡なんですね・・・。

言動も、行動も、省みて改善します。

ちょっと気がかり

高台にある我が家の近所の公園。

1週間ほど前から、こんな注意書きが入口に出されています。

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園内は、こんな感じで、ところどころに水たまりができています。

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現地の海抜は、100mを少し切ったあたり。

ここから、高さにして数十m下がったところに、雨で流れてきた水をためこむ場所があるのですが、そこにたどり着く手前でも水がたまってしまうとは・・・!

当地に移り住んで、まもなく6年が経過しますが、こんな事態を目にするのは初めてです。

警報が出るほどの大雨が続いたのは事実ですが、このあたりの地盤は大丈夫かな?と心配になります。

まずは、自治体が出しているハザードマップに、しっかり目を通します。

 

 

 

 

Bluetoothイヤホンを新調する

ウォーキングの時間は、私にとっては「耳で読書」の時間です。

ま、必ずオーディオブックを聴くわけではなく、Podcastでニュース番組や時事ネタを扱った番組を聴くことも多いのですが。

使っているイヤホンは、ワイヤレスではないので、歩く途中、手で引っ掛けてスマートフォンからジャックが抜ける、ということも少なからずありました。

 

やはりワイヤレスがひとつほしいなぁ。。。

 

そう思って数か月前、片耳だけのBluetoothイヤホンを買いましたが、車の往来が激しい国道などでは、音声がほとんど聞き取れなくなります。

 

何か良いものはないかなぁ。。。

 

そう思っていたところへ、音を聴く道具にこだわりを持った友人が書いた、あるBluetoothイヤホンを購入し、良い評価をしている投稿を見かけました。

それは、SOUNDPeatsの「QY8」というイヤホンでした。

ネットで調べてみると、4,000円を切る手ごろな値段。とにかく試してみよう、と思い、購入しました。

実物はこちらです。

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装着してみると、うまく耳に収まりました。

音は、オーディオブックを聴く限りでは、何の問題もなし。ただし、交響曲を聞いてみたら低音の豊かな響きがあまり聴こえず、音の拡がりがあまり感じられずちょっと残念。音楽を聴く際は、別のイヤホンかヘッドホンを使うことにします。

 

あなたの裁きは公正ですか?

久しぶりに、歩く途中で見つけたものの話です。

このBlogではおなじみの、本願寺系のお寺の支坊。

いま、掲示されているのは、このひとことです。

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人間みな

裁判官

自分は無罪

人は有罪

 

周囲の人や、メディアで報じられる誰かの行為(特に問題あり、として報じられた行為)については、正義を振りかざさんばかりに厳しく糾弾するのに、自分の行いについては、すぐには非を認めず、責任を他に転嫁するなどして逃げている。あなた、そんなことしてませんか?とじっと見つめられて問い詰められる思いがしました。

 

・・・気を付けます。

 

 

 

 

虚円の士に近づくために

以前働いていた職場のボスから聞いた言葉で忘れられないもののひとつに、「虚円」があります。

中国の古典「菜根譚」の一節

『功を建て業を立つるは、多くは虚円の士なり』
―建功立業者、多虚円之士―

から採り上げたもので、素直で機転のきく人物を「虚円の士」といっています。

ボスから聞いた時は、自分の価値観や考え方にとらわれず、素直に、という点に焦点が置かれた話でした。

以来、ことあるごとにこの言葉を思い出して・・・、と言いたいところですが、残念ながら虚円であることを実践できていません。つい、話してくれる相手に対する先入観から、自分から勝手にフィルターをかけ(多くの場合、受け入れようとしない態度で)、話を聞いている私がいます。

このような態度を取るだけで、自分にも取り入れられる良い考えを得るチャンスを取り逃しているのかもしれません。

たとえ考え方を受け入れたくない相手や苦手な相手でも、「中には自分に取り入れられる話や考え方があるはずだ」という姿勢で臨む。忘れてた大事なことを思い出しました。

 

目指すは「意識しなくてもできる」こと

きょうの日本経済新聞「春秋」は、ラマダンの期間に入っていることを受け、東京都内にあるムスクに関する話を取り上げていました。

コラムの終盤は、「IS」に関する話につなげていましたが、私が注目したのは、前段のムスクでの話。1日5回のお祈りは大変では?と思う記者に、ムスクに集まる人はこう言ったそうです。

「体のために1日3回の食事をします。心のための1日5回の礼拝も同じ」

この方をはじめ、多くの信者の方は、食事するのと同様に、意識しなくてもできる行為として、礼拝することが位置づけられているのでしょう。

(食事が1日3回、という習慣は、特に日本では歴史的には最近のことのようですし、最近では1日1食を実践する人もいるようですが、その話題はここでは置いておきます。)

 

物事ができるようになるステップとして、

「知らないからできない」→「知ってるけどできない」→「意識すればできる」→「意識しなくてもできる」

の四段階がある、と、オーディオブックで耳にしたのを思い出しました。

ウォーキングも含め、今よりレベルアップした自分になるための取組を、意識しなくてもできるようになる(言い換えればルーチン化できる、ということでしょうか)には、もう少し努力が必要ですが、めげずに継続していきます。

あなたは何曜日生まれ?

土曜日に聴いた、FMヨコハマ FuturescapeのPodcastで、タイでは曜日ごとに色が決まっている、と紹介する投稿がありました。

それによると、各曜日の色は以下の通りなのだとか。

日曜日-赤
月曜日-黄色
火曜日-桃色
水曜日-緑
木曜日-オレンジ
金曜日-青 
土曜日-紫

ちなみに、外務省のサイトにもこのことが紹介されていました。色だけではなく、曜日ごとに仏像も決まっているのだそうです。

Podcastでは、この投稿から「自分は何曜日生まれ?」の話題に展開されました。
私は木曜日生まれ。両親が、私が生まれた日のすべての新聞を複数紙購入しており、それを子供の頃に見て覚えていました。

そんな記憶がなくても、過去のカレンダーを見られるサイトがあるので、興味のある方はチェックしてみてください。

生まれた曜日の色の持ち物に加える、という楽しみ方もできそうですね。私はオレンジか・・・。セーターが一枚あります。

そうそう。Excelの関数でも、曜日を言い当てる関数(weekdayだったかな?)がありますが、私の生年月日でやってみたところ、なぜか火曜日との答えが出ました。バグか?