久しぶりの懐中時計
歩くこととは全く関係ない話ですが・・・。
皆さんは、普段出歩くとき、どんな時計を持たれてますか?
ほとんどの方は、腕時計(スマートウォッチを含む)でしょうね。
中には、携帯やスマートフォンを時計代わりにしている、という方もおられるでしょう。
私は、腕時計をはめるのですが、汗っかきの体質ゆえ、この時期は、腕時計をはめるのをためらいます。
皮のベルトだと、間違いなく臭うし、金属や樹脂のベルトだと、こまめに洗っておかないと汚れ(時に臭い)が気になる、というのが理由です(こまめに手入れすれば解消できる問題かもしれませんが)。
そのため、この時期は、腕時計を腕ではなくパンツのベルトにつけておくことが多くなります。
それだったら、いっそのこと懐中時計を持つか、と思い立ち、ネットで購入したものが今日届きました。
懐中時計、20代の頃一度持っていたのですが、「やはり腕時計がいい」との思いから、電池が寿命になったところで処分したのです。
比較的シンプルなデザインなのは私の好み。これから大事に使っていきます。
自分との対話の時間を持つ
前回の投稿以降、以前ほどの頻度にはまだなっていませんが、どうにか歩き続けています。
歩きながらPodcastやオーディオブック、時には合唱の練習録音を聴くのが常であり、今日もたまっていたPodcastを聴きながら歩く・・・つもりでした。
そして、いつものようにワイヤレスイヤホンの電源を入れて歩き始めて・・・、気づきました。
スマートフォンを家に置いてきたことに。(汗)
ここで取りに戻ってもよかったのですが、今日は「もういいや、いつもとは気分変えて歩くことに集中しよう」と、そのまま歩き続けました。
歩きながらの時間は、季節の移り変わりを目や耳で感じつつ、色々なことに考えをめぐらし、歩くこと自体に集中はできませんでしたが、自分との対話の時間を持つ、という点ではよい時間になりました。
自分との対話の時間。もちろん普段も設けていますが、歩きながらだと、前に向かって動きながらのせいか、鬱々としたり、悶々としたりして気持ちが沈んでいく、という状態を避けることができます。
スマートフォンアプリで歩いた距離を記録できないのは惜しいですが、たまには敢えて忘れて歩きに出るのも良いな、と思った月曜の夜でした。
まぁ、スマートフォン携行しても、そこで音声を何も聴かなければ同じことはできますけどね。^^
再び歩き始める
ここのところ、ウォーキングをずっと休んでいることは2月にも一度書きました。
要因は色々考えられますが、つまるところ、とにかく続ける、という意志が欠落してしまった。このことに尽きます。
この冬から春にかけて、長いこと風邪の症状が続いていましたが、歩く習慣を失くして抵抗力がなくなったのでは?と家族からも指摘されました。
身体の調子だけでなく、心の調子も崩しかけました。
大型連休を終えた今、まだ時折咳が出る状態ですが、習慣を取り戻すべく、仕事から上がってからのウォーキングを復活させました。
もう少しすると雨の季節になります。
今日も歩きながら、カエルの合唱を聴く場面がありました。ウグイスの声を聴いてから1ヶ月しか経っていないのに。
天候に邪魔されることもあるでしょうし、長くブランクがあったので、一度に歩ける距離も、最初は前ほど長くはないでしょう。それでも、また歩みを続けます。
ヒトが機械同等の扱い?
変に想像働かせすぎなのでしょうが、表題のような思いを禁じ得ない会話を耳に挟みました。
連休中、大阪で一人飲みをしていたお店での会話。
カウンターの隣に座ったのはお互いにパートナーがいる者同士の男女カップル。
交際ゼロ日で結婚(会ったその瞬間に決めてたようだ)を決めた、と女性。
産まれや育ち、そしてこれまでの半生のことを聞かずに、ということを「スペックを聞かずに」と言っていました。
この「スペック」の一言が強く耳に残りました。
それを「プロフィール」と言っていれば完全に忘れ去るやりとりでしたが・・・。
「デフォルト」。
「債務不履行」の意味もありますが、私が初めてこの言葉を聞いたのは、パソコンなどの基本性能のことを指す言葉としてのことです。
折しも、AIの発展により、これまで人間がやっていた仕事が機械にとってかわられるのでは?という話も出ている今日この頃。
それと重なって、人が人を語るときにも、それを機械と同格のように扱われてるのかしら?と、ちょっとだけ思った連休のとある日の出来事でした。
徳山の桜 2017
昨年もこの時期に書きました、徳山の桜のこと。
katopon-amicidelcanto.hatenablog.com
桜に関する記事は、毎年の定点観測のような形での更新になりますね。
今年も、4月8日~9日の週末に、「今が見ごろ」の状態になりましたので、同じ場所に足を運びました。
生憎の空模様のため、昨年同様の青空とのカップリングはかないませんでしたが、この桜のトンネルを通ると、自然と笑顔になる自分がいます。
わずかの間しか咲かない桜の花に、我が身を重ねあわせる人も少なからずおられます。
私もその一人。
私という木を、満開の花で飾りたい、いや、飾って見せる。
「念ずれば花開く」という言葉があります。
漠然と念ずるのではなく、どんなことで自分の花を咲かせたいか。
具体的に思い描いていきましょう。