歩きながら考える by 小春日

日課としているウォーキングの記録、ウォーキングの最中にオーディオブックやPodcastを聴きながら考えたことなどを書き留めてまいります。

2019年 引き続き歩き続けてます

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2019年がスタートして、すでに10日あまり経ちました。

仕事をする方も、学校に通う方も、お休みが終わって新たなスタートを切られ、ようやく気持ちが「お休みモード」から切り換わったところでこの連休を迎えていることと思います。

私 小春日は、今年も「1か月最低100km歩く」ことを継続します。

思えば昨年の今頃は、心身の調子を崩し、3月までほどんどウォーキングもできていない状態でした。

今シーズンは、最低ラインを決めて歩き続けてきたこともあり、大きくコンディションを崩すことなく過ごすことができています。

4度目の年男を過ぎ、人生半世紀の足音も近づいています。残りの人生で輝くための基盤づくりとして、歩くことは欠かせません。

歩み続ける中で目や心に留まったことを、引き続きこのBlogに書いていきます。

1,000km歩きました

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2018年も最後の一日となりました。

30日から戻ってきた、埼玉県の故郷で、今年最後のウォーキングを済ませました。

 

4月から自分に課してきた、「1か月に最低100km歩く」という最低ラインを、9か月連続で達成しました。

 

2018年に記録をとっただけで、歩いた距離は1,135km。そのうち4月以降の9か月で1,066km歩きました。積み重ねてみると、現住地の徳山から故郷までの距離を少し超えるくらい歩いたことになります。

 

歩き続けてきた成果か、4月以降は大きく体調を崩すことなくここまで過ごすことができました。

 

年初めに、体と心の調子を崩していたことを考えると、これだけでも「本当によかった」と思える2018年でした。

 

月100km歩くことは、私にとって当たり前のことになっています。

この調子で、来る2019年も歩き続けます。

 

 

地元で初の美術鑑賞

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冷え込んだがいい天気となったクリスマスイヴ。

地元の周南市美術博物館に出かけてきました。

普段のウォーキングで、この建物の前を通りかかることが何度もありますが、中に入って鑑賞するのは、周南市民になって8年経って初めてのことでした。

特別展で開催されていた、「生誕100年 林忠彦展」が主目的でした。

中でも、文豪をはじめとした名だたる著名人を撮影した写真の数々を、息をのみながら観てきました。

もう一つ印象に残ったのは、戦中戦後の人々の姿。まもなく平成が終わろうとする中、昭和の息遣いを写真を通じて感じることができました。

林忠彦氏の実家は、徳山駅近くの写真館。

地元ゆかりの人として、詩人のまど・みちお氏と並んで、常設で展示室が設けられています。

併せて、徳山の歴史を知ることができる史料も展示されていました。

歩いても30分見ればたどり着くことができる美術館。

今後、どんな特別展が来るのかはわかりませんが、芸術に触れる貴重な場として、今後も足を運びます。

 

十月 区切りの月

日本で暮らしていると「区切り」といえば、年度が新しくなる4月、という方が多いことと思います。

まぁ、お勤めの業界などにより、ほかの月が期の始まり、ということもあるでしょうが。

 

私個人では、それは十月だと感じています。

 

今の勤務地に移ってきたのが十月。

夫婦の契りを交わしたのも十月。

そして、私自身の誕生月でもあります。

 

区切りだからといって、何か特別なことがあるわけではありませんが、

また新たな周回が始まります。いや、始まりました、か。

 

一歩一歩、着実に歩を進めてまいりましょう。

因果応報

善い行いをすれば、善い結果が得られ、

悪い行いは悪い結果をもたらす。

調べてみると仏教用語とのことですが、

この趣旨のことは、普遍の法則として多くの人が語っておられます。

 

今、自分の身に起こっていることは、以前に自分がやったことが

返ってきている。

自らの行動や言動を省みて、この基本的なことを忘れてるな、と

思った、秋分の朝でした。

 

もちろん、天変地異など個人の手ではどうにもならないことも多々

あります。

自分でコントロールできる部分で、善い行い、少なくとも周りに

不快な思いをさせない行いを心がけましょう。

 

写真は、合唱コンクールで訪れている松江で撮った朝日です。

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今日という日は 誰かが生きたかった明日

掲題の言葉、いろいろなところでこの趣旨のことが言われていることでしょう。

折しも2018年は様々な災害で、生きたかった明日を奪われてしまった方も多く現れてしまいました。

それがなくとも、日常で接する場面で深く傷つき、また追い込まれ、「明日も生きること」を選択しなかった、ということも後を絶ちません。

本当に心が痛みます。

私の身近にも、この世に一瞬だけ現れ、あっという間に天国に旅立ってしまった者が居ます。生きていれば3つ年下の妹です。

その出来事が起こってから、今日(2018年9月8日)で45年が経ちました。

私が「あいつの分まで生きる」という思いになるずっと前から「お兄ちゃん、私の分もちゃんと生きてよね!」と空の上から言われ続けているような気がします。

ありがとう。そして、心配かけてごめんね。

「一歩前へ」の気持ちを忘れずに、これからも生きていくよ。

ラジオが最後のよりどころ

2018年を表す漢字は「災」では?と思わせるくらいに、自然災害が続いています。

今週だけでも、台風21号が猛威を振るったそのすぐ後に、北海道胆振地方を震源とする大きな地震が起こりました。ニュースで映像を見るたび、胸が痛みます。

まずは心よりお見舞い申し上げますと共に、ライフラインの少しでも早い復旧を祈ります。

北海道の地震については、地元のラジオ局が発生直後から断続的に情報を発信し続けていました。私が知ったのは、早朝にRadikoで聴いた東京・ニッポン放送のラジオ番組「上柳昌彦のあさぼらけ」。そこで、地震に関する情報と併せて、通常ならその番組を流している札幌のラジオ局が、独自に地震情報を流している、という、北海道のリスナーからの投稿があったのです。

ラジオ局を切り換えたところ、Radikoに登録されている北海道のAM2局とFM1局は、通常番組ではなく地震情報を流し続けていました。

この状況を見て思い出したのは、7年半前の東日本大震災

所用で東京に居た私も震度5強の揺れにみまわれ、その後は携帯電話の電波もつながりませんでした。

たまたま持ち歩いていた、携帯用のラジオで、交通機関の状況を把握し、次の行動に移ることができました。

やはり、情報源として最後のよりどころになるのはラジオなのかな、と思った次第です。